『うたたね』と「甲子園」

 

滋賀県日野町で長年石材店を営む吉沢玖馬雄。高校時代は野球に青春を捧げた。吉沢は、高校三年生のあの夏の日を忘れない。

1960年7月27日、この年完成したばかりの県営皇子山球場で第42回全国高等学校野球選手権大会の滋賀予選決勝戦が行われた。名門八幡商業高校と新鋭日野高校の対戦となり、焼けつくような真夏の日差しが球場を覆うなか、八幡商業・和田と日野・望田の両エースが投げ合う大会屈指の投手戦となった。

8回終わって0-0、両チームともに譲らず延長戦の予感漂う9回表、地力に勝る八幡商業がチャンスを得た。二死走者一・三塁、迎えるバッターは8番川内幸男。ピッチャーが投じたアウトコースいっぱいのカーブを逆らわずに流し打った。ボールは右翼線のライン際にポトリと落ちる幸運なヒットとなり、ついに均衡が破られた。9回裏、日野も一死一塁と粘りをみせるが、頼みの4番吉沢が打ち取られてゲームセット。一点を争った決勝は、八幡商業の勝利に終わった。

ちなみに、当時、甲子園への切符は京滋大会を制した1チームだけに手渡されることになっており、八幡商業は平安高校に甲子園への道を阻まれている。滋賀県勢の甲子園への道は夢とついえている。

それから47年の歳月が流れた2006年の9月某日、八幡商業の主将を務めた池澤の音頭で、決勝戦で相対した両チームのメンバーが酒を酌み交わすこととなった。その席で隣り合わせたのが八幡商業の川内と日野高校の吉沢、ともに中堅手だったこともあり意気投合した。

その後しばらくたったある日、川内が「うちの娘が写真家を目指しててなあ、よかったら娘の作品貰ってくれへんか」といって吉沢に写真を手渡した。その写真は、木村伊兵衛写真賞を受賞した直後の川内倫子の写真集『うたたね』に収録されている作品であった。お気づきのとおり、八幡商業の川内選手とは、写真家・川内倫子の父その人である。

写真には詳しくなかった吉沢だが、あの夏ともに甲子園を目指して戦った川内からの贈り物がとても嬉しかった。陽の光が差し込む教室の中で机に向かう少女の写真は、吉沢にとってあの夏の記憶を呼び覚ますタイムマシンとなった。吉沢家の玄関にはこの写真が大切に飾られている。

(写真・文/ Kenji okai)